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佐藤雅晴 尾行-存在の不在/不在の存在

大分県臼杵市に生まれた佐藤雅晴(1973-2019)は、日常風景をビデオカメラで撮影した後、パソコン上でペンツールを用いて慎重にトレースする「ロトスコープ」技法でアニメーションや平面の作品を創作。観る者に、現前に映る事物の実在感とともに、不確かさや儚さなどを感じさせる独特の世界観により、国内外で高い評価を受けるなか、45歳の若さで惜しまれながら亡くなりました。本展では、代表作の《Calling》《東京尾行》《福島尾行》など、佐藤の活動の全貌を紹介します。

関連イベントの情報は、このページの下の方にあります。

大分県立美術館では、大分県出身の佐藤雅晴の展覧会を開催します。
佐藤雅晴は、1973年大分県臼杵市の生まれ。日常風景をビデオカメラで撮影した後、パソコン上でペンツールを用いて慎重にトレースする「ロトスコープ」技法でアニメーションや平面の作品を創作。佐藤の作品には、観る者に、現前に映る事物の実在感とともに、不確かさや儚さなどを感じさせる独特の世界観があります。
2009年には「第12回岡本太郎現代芸術賞」で特別賞を受賞。近年では、原美術館での個展「ハラドキュメンツ10 佐藤雅晴-東京尾行」(2016)のほか、シドニーでも個展「TOKYO TRACE 2」(2017)を開催するなど、国内外で精力的に作品を発表し、高い評価を受けるなか、2019年、45歳の若さで惜しまれながら亡くなりました。
本展では、代表作の《Calling》《東京尾行》《福島尾行》などの映像作品をはじめ、フォトデジタルペインティングやアクリル画など、佐藤の活動の全貌を紹介します。
生の不確かさや儚さなど、私たちがどこかで感じているものが作品に映し出されているからこそ、そこにある生の存在に希望や光輝く可能性があることを感じる、佐藤の作品の魅力はそこにはあります。ぜひ、会場でその作品の数々をご覧ください。

主催 佐藤雅晴展実行委員会、公益財団法人大分県芸術文化スポーツ振興財団・大分県立美術館
共催 大分合同新聞社、朝日新聞社、OBS大分放送
後援 大分県、大分県教育委員会、臼杵市、NPO法人大分県芸振、西日本新聞社、毎日新聞社、読売新聞西部本社、NHK大分放送局、エフエム大分、J:COM大分ケーブルテレコム、臼杵ケーブルネット、大分経済新聞
協賛 ソニーマーケティング株式会社
協力 水戸芸術館現代美術センター、imura art gallery、KEN NAKAHASHI
助成 令和3年度 文化庁 文化芸術創造拠点形成事業

巡回
会場 
水戸芸術館現代美術ギャラリー
会期 2021年11月13日(土)~2022年1月30日(日)

「佐藤雅晴 尾行-存在の不在/不在の存在」 紹介映像(30秒)

「佐藤雅晴 尾行-存在の不在/不在の存在」 紹介映像(30秒)

展示構成
プロローグ 東京尾行

佐藤雅晴の活動の全貌を紹介する本展のプロローグとして、佐藤の代表作であり、「存在の不在/不在の存在」とでもいうような佐藤の作品世界を最も鮮明に映す《東京尾行》を紹介します。
この作品は、2015 年から 2016 年にかけて制作された実像とアニメーションが合わせられたものです。1台の自動演奏ピアノがドビュッシーの「月の光」を奏でるなか、12台のモニターに90もの場面の映像が流されます。実写の映像が実像であり、アニメーションが虚像であるようにも見えますが、またその逆に、アニメーションが実像であり、実写の映像が虚像であるようにも感じられ、観る者に虚実の狭間を行き来させるような不思議な思いを抱かせます。
この作品は、ドイツから帰国した2000年に発見された癌の再発が確認され、その治療で入院した時期を挟んで制作されたものです。病を患い、自身の生と死に常に思いを向けざるを得なかった佐藤にとって、日常の何気ない風景の中に映された人々の姿や動植物、街の様子に、いずれは消えゆく自分自身と万物の常ならざる定めを感じながらも、しかし、そうであるからこそ、目の前に映るその姿に愛おしいほどの眼差しを注いだのではないでしょうか。

《東京尾行》 (2015-2016年) 《東京尾行》 (2015-2016年) 《東京尾行》 (2015-2016年)
《東京尾行》 (2015-2016年) 《東京尾行》 (2015-2016年) 《東京尾行》 (2015-2016年)
第1章 SATO Masaharu im Deutschland

佐藤は、1999年に渡独し、10年あまりをデュッセルドルフを拠点に活動します。渡独後2年間は、ドイツ国立デュッセルドルフ・クンストアカデミーにガストシューラー(研究生)として在籍し、創作に取り組みました。その後、日本食レストランに就職、仕事に追われる日々を過ごすことになりますが、2003年頃、パソコンのペンツールを使って絵を描く方法を知り、試行錯誤を重ねるなか、2004年から2007年にかけ、自身が見た夢をインスピレーション源にしたアニメーション作品《TRAUM》を制作します。そして、この作品の発表を機に、「存在の不在/不在の存在」とでもいうような、その後の佐藤の作品世界の礎となる映像や平面作品を制作していきます。
本章では、11人の若い男女がひとりずつモニターの中で、ゆっくりと振り向き顔を見せ、またゆっくりと向こう側に顔を向ける様子が繰り返し流れる《アバター11》などの映像作品のほか、歩道に打ち捨てられた髪を描いた《Hair》などの街で見かけた風景などを題材に制作された平面作品等、ドイツ時代の作品を取り上げます。 これらの作品には、仕事に追われ、創作の灯火が消えてしまいそうになる「暗黒の時代」とでも呼べる日々を乗り越え、創作の翼を再び広げ、羽ばたき始めた佐藤の姿が映されているようです。

《TRAUM》(2004-2007年) 《アバター11》(2009年) 《Hair》(2009年)
《TRAUM》(2004-2007年) 《アバター11》(2009年) 《Hair》(2009年)
第2章 日本再会

佐藤は、2010年に10年間過ごしたドイツを離れ、日本に帰国。茨城県取手市に居を構えます。その直後から、佐藤は、様々な出来事に見舞われることになります。まず、2010年に癌が発見され、手術を受けます。幸いにも、腫瘍は無事摘出され、転移も見られず、快方に向かいます。2011年3月11日には、東日本大地震に被災。2013年、佐藤と同じアーティストであるパートナーが、くも膜下出血で倒れますが、幸い、発症時にそばにいた佐藤が直ぐに対応したこともあり、手術を受けた後、無事回復します。
このように、プライベートでは、様々な出来事に見舞われた佐藤でしたが、創作活動においては、国内外で広く作品を発表した時期でもありました。例えば、夫婦演歌「絆」(歌・長山洋子・影山時則)が流れるなか、取手市の情景を舞台に天使と悪魔の姿をした男女が織りなすメロドラマを描いた《バインド・ドライブ》が、「第15回文化庁メディア芸術祭」審査委員会推薦作品(2011年)に選出されたことや、「ナイン・ホール 佐藤雅晴展」(川崎市市民ミュージアム、2013年)の開催などです。
この章では、この時期の代表作である《バインド・ドライブ》や《9 holes》のほか、東北大震災の被害から復活した福島の蒲鉾製造工場の伊達巻製造の様子を題材にした《ダテマキ》などの映像作品や、子どもをモチーフに「三猿」を描いた《see no evil》《hear no evil》《speak no evil》などの平面作品を紹介します。

《バインド・ドライブ》(2010-2011年) 《ダテマキ》(2013年) 《9 holes》(2012-20013年)
《バインド・ドライブ》(2010-2011年) 《ダテマキ》(2013年) 《9 holes》(2012-20013年)
第3章 Calling

《Calling》は、2009年に制作されたドイツ編と2014年に制作された日本編の2種類の映像作品です。いずれの作品も、実写映像をもとに制作されたアニメーションで、人がいない空間に電話機の着信音だけが鳴り響く情景が描かれています。
ドイツ編は、ドイツでの日々の暮らしのなかで気になった情景などを映像に収め、トレースし、アニメーション化した12種類の映像が繰り返し流されます。日本編は、2014年にニューヨークで開催された「Duality of Existence-Post Fukushima(存在の二重性-ポスト福島)」への出品にあたり、佐藤の住んでいる取手市を舞台に制作された作品です。
持ち主不在で鳴り続ける携帯電話や主不在の部屋に鳴り続ける固定電話は、人の移ろいゆくさまやいずれは消えゆく人間の定めを暗示しているようにも、逆に、持ち主不在の携帯電話や主不在の固定電話に鳴り続ける着信音は、物体としては消えてしまった誰かが、この世につながるために架電しているようにも感じられます。
「Calling」という言葉には、「神が宣言(call)したこと」という語源から「神の思し召し」、「使命」、「天職」という意味もあります。
ただ、無人の空間に鳴り響く電話の着信音を映した作品ではありますが、観る者に様々なことに思いを巡らせる不思議な魅力が内在されています。

《Calling(ドイツ編)》(2009-2010年) 《Calling(日本編)》(2014年)
《Calling(ドイツ編)》(2009-2010年) 《Calling(日本編)》(2014年)
第4章 日常のくらしのなかで

佐藤は、帰国した2010年に病に倒れ、それ以来、入退院を繰り返すことになります。病と戦うなか、徐々に体力の衰えや体調の異変などを感じることもありましたが、佐藤は創作の手を止めることはありませんでした。その佐藤が目を向け、描いたのは、身の回りにある情景や事物でした。
本章では、自宅から見える木々が時間の経過に伴って、刻々と表情を変えていくさまを描いた8枚組の作品《Garden#1~8》や自宅の浴槽を描いた《RYG》などの平面作品、洗面台の鑑の前で少女が歯磨きをする後ろ向きの姿と鑑に映った様子を描いた《鏡》、「おにぎりを握る女性の両手」や「家の玄関のチャイムを押す右手」「襖の前できつねの影絵をつくる左手」など、33種類の「手」を描いた《Hands》などの映像作品を紹介します。
闘病を続けながらも、今ある現前のものに愛おしいほどの眼差しを向け、創作を続けた佐藤。これらの作品には、その佐藤の思いが込められています。

《Garden#4》(2013年) 《RYG》(2014年) 《Hands》(2017年)
《Garden#4》(2013年) 《RYG》(2014年) 《Hands》(2017年)
第5章 福島尾行

2017年10月、佐藤は、東日本大震災と福島原発事故で不通となっていたJR常磐線富岡(福島県富岡町)―竜田(同楢葉町)間が、約6年7カ月ぶりに運転を再開したことを報じる新聞記事を目にします。その記事には、再開式で、富岡町長やJR東日本社長が地域の復興に向けての期待を述べる様子や、町民の喜びの声とともに、富岡駅のすぐ横に大量に積まれた除染に伴う土壌や廃棄物を詰め込んだ黒いフレコンバッグの様子が映されていました。このショッキングな情景を目にし、佐藤は、福島の現状を自身の目で見、感じ、記録に残さなければと強く思います。そして、半年の間に数回現地を訪れ、制作されたのが、《福島尾行》です。
実は、この《福島尾行》は未完の作品といわれています。それは、佐藤が、この作品を最低でも1年以上かけて、可能であれば、ライフワークのようなかたちで、じっくりと撮影して描きたかったのですが、それが叶わなかったからです。佐藤は、病気の進行から、体力的に遠出することが難しくなるほか、片目が霞み出し、トレース作業が困難になります。そして、2018年9月に医師から余命3ヶ月の宣告を受け、自身に残された時間を知らされます。そのため、それまでに取材した映像をもとに、何とか生きている間に編集を完了させようと取り組み、完成させたのです。
佐藤は、自然の脅威や原発事故によって姿を変えさせられてしまった福島の姿を記録に残すとともに、画面の中に人は映されていないけれども、そこにも、本来であれば、人々の姿や暮らしがあったことを思い起こさせ、私たちにそのことを伝えようとしたのではないでしょうか。

《福島尾行》(2018年) 《福島尾行》(2018年) 《福島尾行》(2018年)
《福島尾行》(2018年) 《福島尾行》(2018年) 《福島尾行》(2018年)
エピローグ 死神先生

「死神先生」は、2019年につくられた9点のアクリル画と1点のオブジェクトで構成されたシリーズ作品です。 病気の進行により、活動範囲が限られざるをえない佐藤が、制作の対象に選んだのは、家の中にある段ボール箱や玄関のチャイムなど、日々の生活の中で目にする、ある意味他愛のないものばかりでした。佐藤は、それらのものに愛おしむような眼差しを向け、丁寧に一筆一筆、描いていきました。
帰国した2010年から9年もの間は、佐藤にとって常に病との戦いでした。佐藤は、自身の病、そして、死と向き合わざるをえない状態にありながらも、決して、逃げることも怯むことなく、自身の宿命(さだめ)を受け入れ、創作を続けました。そして、45年の生涯を通して取り組んだ創作活動の最後に、佐藤が再び巡り会ったのが、子どもの頃から慣れ親しんだ絵筆と絵具で絵を描くことでした。
20年間、パソコンに向かい、膨大な時間を費やし、この世の理や社会的な課題など、様々なものを描くことに取り組んできた佐藤にとって、純粋に目の前にあるものを絵筆で描くことは、至高の喜びだったのではないでしょうか。
2019年3月9日、“佐藤雅晴による個展「死神先生」”(KEN NAKAHASHI(東京・新宿)、2019年2月15日〜3月16日)が開催される中、佐藤雅晴は、家族の見守るなか、静かに旅立っていきました。

「死神先生」シリーズ 《ガイコツ》(2018年) 「死神先生」シリーズ 《チャイム》(2018年) 「死神先生」シリーズ 《階段》(2018年)
「死神先生」シリーズ 《ガイコツ》(2018年) 「死神先生」シリーズ 《チャイム》(2018年) 「死神先生」シリーズ 《階段》(2018年)
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