2025年05月24日
「OPAM開館10周年記念 LINKS― 大分と、世界と。」寄稿記事 ②
「LINKS―大分と、世界と。」は、作家同士の交流や、作家と作品との「出会い」をたどる展覧会となっています。
洋画編の最初の1点として、大分県臼杵市出身の藤雅三の《フランス風景》(東京国立博物館所蔵)を展示しています。この人物は「日本近代洋画の父」として有名な黒田清輝を洋画の道に導いた一人とされています。藤は1853(嘉永6)年に臼杵に生まれ、二王座にかつてあった「丸山焼」と呼ばれる民陶で絵付けを行いました。また文人画家の一人、帆足杏雨に師事し、「藤米岳」と号して南画や花鳥画を描きました。1876(明治9)年に上京し、彰技堂に入塾後まもなく工部美術学校へ入学。フォンタネージに学び、画才を発揮しました。1885(明治18)年に工部省留学生として渡仏します。前年に法律を学びにパリへ来ていた黒田清輝にフランス語の通訳を依頼したことをきっかけに、黒田、藤、そしてほどなくパリに到着した久米桂一郎の三人は、親しく美術館や写生へ出かけるようになりました。藤の《フランス風景》はこの頃の作品であり、国内に現存する藤の唯一の油彩画です。次第に絵画の道への思いをつのらせていった黒田に、藤の他、美術商の林忠正と山本芳翠が画家になることを薦め、黒田はついに親元へ画業修業を決心する手紙を送ります。その後の黒田のセクセスストーリーはひろく知られているところです。久米と共に白馬会を設立し、東京美術学校西洋画科の指導者として、日本における近代洋画の発展に貢献しました。
藤は黒田や洋行の画家たちが師と仰いだラファエル・コランにいち早く師事した日本人でもあり、藤と黒田の出会いがなければ、黒田がコランにみる外光派表現を日本へ持ち帰ることもなかったかもしれません。そう考えると藤は日本の近代洋画史にとって軽視できない存在といってよいでしょう。
藤はパリで扇絵や陶器の絵付けも行い、現地の女性と結婚し、アメリカに渡るとティファニーなどでガラス製作に携わります。残念ながらアメリカで亡くなりますが、洋画一本ではなく、装飾美術や応用美術にも腕を振るった藤は大分が誇るべき才能です。ぜひこの機会に作品をご堪能ください。
(大分県立美術館主任学芸員 木藤野絵)
令和7年5月24日 大分合同新聞掲載

