2025年05月31日
「OPAM開館10周年記念 LINKS― 大分と、世界と。」寄稿記事 ③
「LINKS―大分と、世界と。」は、作家同士の交流や、作家と作品との「出会い」をたどる展覧会となっています。初期洋画に始まる本展洋画編のハイライトの一つが、大分のアヴァンギャルドを振り返るコーナーです。大分市にかつて「キムラヤ」という画材店があり、戦前から文化拠点として栄えました。戦後には「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」のルーツともいえる「新世紀群」がここで結成され、磯崎新や吉村益信、赤瀬川原平、風倉匠といった面々が交わりました。
「キムラヤ」は「キムラヤ洋画材料運動具店」として1926年に開店。創業者の木村純一郎は神戸育ちのハイカラな人物で、大阪の出版社に勤めながら、大分の宮崎書店と縁を持ち、書店の隣にキムラヤを開業します。キムラヤは画材とスポーツ用品を取り扱う珍しい店でした。店内には喫茶室が設置され、木村が神戸から仕入れた珈琲や洋菓子が給されました。山下鉄之輔という画家が大分に美術教師として赴任し、キムラヤの黎明期を支えます。山下は東京美術学校で萬鉄五郎や片多徳郎と親しくし、卒業後は岸田劉生らのフュウザン会に参加した先取の精神に富む画家でした。セザンヌやゴッホといった白樺派的な西洋美術を大分に伝え、若き髙山辰雄や佐藤敬を指導しました。さらに作家の林房雄、音楽家の園田清秀、岩田学園理事長の岩田正、経営者で俳人の磯崎操次(磯崎新の父)ら、大正末期から昭和初期に大分市で青春期を過ごした後の偉人たちが山下の薫陶を受けています。キムラヤはその後1928年には古賀春江、1931年には佐伯市出身の妻を迎えた猪熊弦一郎の個展が開催されました。本展ではこれらの作家が昭和初期に大分で展示した作品が並びます。
戦後のキムラヤは二代目の木村成敏を中心に新たなスタートを切ります。木村成敏は労働運動にも深く関わった人物で、画家を志す若者たちを牽引し、磯崎新、吉村益信ら、大分第一高校出身者を束ねて「新世紀群」を結成します。「新世紀群」は絵画サークルとしてデッサン会、同人展、講評会、県外講師を招いた講習などをさかんに行いました。まだ中学生だった赤瀬川原平や、高校卒業後に詩作等の表現活動をした風倉匠らが参加します。美術を一部の層のためではなく、大衆へ広めることを目指した彼らは、2回目以降の同人展を若草公園で開催。作品を公園のフェンスに展示する「野外展」を試みます。本展では野外展出品作で現存する吉村益信の絵画の他、キムラヤで個展を開催し、その後も機関誌『新世紀』上で交流した河原温のドローイングや《印刷絵画》を展示します。
こうした文化的背景により、地方にルーツを持つ動きが、東京でさらに大きく開花します。「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」です。磯崎が設計に関与した吉村益信の新宿のアトリエ兼自宅が「ホワイトハウス」として前衛運動の拠点となり、かつて「新世紀群」で吉村と出会った赤瀬川原平と風倉匠がグループに加わります。このコーナーは「ネオ・ダダ」を部分で観るのではなく、キムラヤから続く流れとともにご覧いただくことのできる、まさに本展タイトルの「リンクス」を体現した展示といえるでしょう。ぜひ会場で新しい発見との「出会い」をお楽しみください。
(大分県立美術館主任学芸員 木藤野絵)
令和7年5月31日 大分合同新聞掲載
