展覧会

生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展

別府市出身で、「竹芸」分野初の人間国宝に認定された生野祥雲斎。本展では、生誕120年・没後50年を記念して、その作品の全貌を展示し顕彰します。唐物風の初期作から、古典的構成に櫛目編を新たな感覚で取り入れた技巧的な作品群、さらに櫛目編を大胆に用いた彫刻的な作品や、晩年の竹の素朴な美しさや力強さを生かした作品まで、幅広い作風の展開をご紹介いたします。

共催 大分合同新聞社、TOSテレビ大分
後援 大分県、大分県教育委員会、NPO法人大分県芸振、西日本新聞社、朝日新聞大分総局、読売新聞西部本社、毎日新聞社、NHK大分放送局、エフエム大分、J:COM大分ケーブルテレコム、大分経済新聞

「生誕120年・没後50年 生野祥雲斎展」

 生野祥雲斎(しょうの しょううんさい 本名:秋平 (あきへい))は大分県別府市に生まれました。大正12 (1923)年に竹工芸家の佐藤竹邑斎(さとう ちくゆうさい)に入門すると2年後には独立して夢雀斎楽雲(むじゃくさいらくうん) を名乗ります。師である佐藤竹邑斎が昭和4(1929)年に没してからは皇族への献上品の製作依頼も受けるようになり、その実力は早くから認められていました。
 昭和15(1940)年にはその年の文展に代わる「紀元二千六百年奉祝美術展覧会」で初入賞を果たすと、昭和18(1943)年には特選、昭和31(1956)年には北斗賞、翌年にはその両方を受賞し、彫刻的で大胆な造形性を持つ作品によって、竹工芸を美術品として世に広めました。その革新的な功績が認められ、昭和42(1967)年には竹芸の分野で重要無形文化財保持者に初めて認定されています。
 本展では、生誕120年・没後50年を記念して、祥雲斎の作品の全貌を展示し顕彰します。唐物風の初期作から、古典的構成に櫛目編(くしめあみ)を新たな感覚で取り入れた技巧的な作品群、さらに櫛目編を大胆に用いた彫刻的な作品や、晩年の竹の素朴な美しさや力強さを生かした作品まで、幅広い作風の展開をご紹介いたします。
 激動の近代にとどまることなく斬新な造形を生み出し、竹の、竹籃の、そして竹工芸の、全ての魅力を作品によって伝えた祥雲斎。ぜひこの機会に余すところなくご鑑賞いただけますと幸いです。

展覧会のみどころ
みどころ1 大分県立美術館では初の回顧展!戦前~50年代の優品を一挙にご紹介!  ​​​​​​​​​​​​​​
生野祥雲斎 《時代竹編盛籃 心華賦》 1943年​

生野祥雲斎 《時代竹編盛籃 心華賦》 1943年​

 祥雲斎は1940年に《八稜櫛目編盛籃》(はちりょうくしめあみもりかご)で初めて文展に入選し、1953(昭和28)年に《松葉編盛籃》(まつばあみもりかご)(国立工芸館蔵)が落選するまで、数々の作品を文展/日展に連続入選させました。
 中でも1943年に特選に選ばれた《時代竹編盛籃 心華賦》(じだいたけあみもりかご しんかふ)は、五弁の花びらのような形が美しい、戦前の名品です。この時期祥雲斎は伝統的な盛籃の形式の中に、新しく立ち上げに櫛目編を用いた、独自の盛籃で文展/日展に何度も入選しました。《時代竹編盛籃 心華賦》は櫛目編で立ち上げた部分に柔らかな曲線を持たせ、かつひごの細さを少しずつ変化させることで、花びらの柔らかさや軽さをよく表しています。このようなひごの美しさや縁の籐かがりの細かさなど、初期からこの時期を中心に見られる繊細な技術の素晴らしさにも注目です。

みどころ2 全国から名品が集結!​​​​​​​
生野祥雲斎 《竹華器 怒濤》 1956年 国立工芸館蔵 撮影者:米田太三郎​​​​​​​

生野祥雲斎 《竹華器 怒濤》 1956年 国立工芸館蔵 撮影者:米田太三郎​​​​​​​

 日展落選を経験した祥雲斎はその後、彫刻作品のようなオブジェ的な作品へと方向を転換させていきます。まず1954(昭和29)年からいわゆる「波3部作」と呼ばれる、波を題材とした作品を次々発表します。
 1956年の《竹華器 怒濤》(たけかき どとう)(国立工芸館蔵)は荒れ狂う大波、その動きのダイナミックさを櫛目編で大胆に造形しています。波の頂点で竹ひごがひねられており、構成に動きが感じられるのです。竹華器という作品名がついていますが、既に用途から離れた、美術作品としての存在感を放っています。

みどころ3 素材としての竹の美しさ
生野祥雲斎《炎》1957年

生野祥雲斎《炎》1957年

 1957(昭和32)年には《炎》を発表し、日展で特選・北斗賞をダブル受賞しました。同じ作品がもう1点制作され、大分県、大分市などから連名で昭和天皇に献上されたことでも知られています。吊り籃の形式で制作されており、櫛目編がゆるやかに弧を描き、底に向かってひねりを加えつつ収束するような形になっています。縁はそれまでの盛籃とは異なり、波のような不規則な曲線を描いています。決まった形のない炎が造形的によく捉えられています。

生野祥雲斎《白竹投入華籃 行々子》1965年

生野祥雲斎《白竹投入華籃 行々子》1965年

​​ 1950年代末から1960年代頃には、祥雲斎は竹自体の素材の美しさに着目した作品を制作していきます。《白竹投入華籃 行々子》(しらたけなげいれはなかご ぎょうぎょうし)は、網代編と櫛目編を用いながらもあえてざっくりとした不規則な編み上がりに仕上げ、素朴な作風が特徴的です。行々子とは水辺に棲むオオヨシキリという鳥の別名。水鳥の棲む芦原の風景を思わせる作品とも言えるでしょう。

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