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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その三十二

寄稿 2016.01.11

2015年7月28日に県立美術館で開かれた夏休み特別ワークショップの様子

2015年7月28日に県立美術館で開かれた夏休み特別ワークショップの様子

 県立美術館の目標。それは芸術が人の心を豊かに変えていく、皆が面白くクリエーティブになって大分県人皆が、面白く変わっていく。そういう「大分ビーナス計画=大分県全体が芸術の生涯学習の場になる」ことに尽きる。
 では芸術や文化とは僕らにとって「こういうものだ」と分かる自明のことなのか? そんなばかなことは絶対にない。
 先日、県美術協会の人たちと話した時に、今回の県美術展で審査させてもらった日本画、洋画、彫刻、工芸について僕はこう話した。「まずこれだけ質が高く、熱気に満ちた作家が大勢いる県は他に絶対にないですよ。ただ僕は美術の常識とは別にアートがいったい何であるか、真摯(しんし)に元気いっぱいに楽しんで苦しんで、必死に問い掛けていると僕が感じた順に選ばせてもらいました」
 これは本心で、アートに関わる僕らは全て「どこまでいっても謎に満ちた芸術の本質、その奥深さ」に導かれて仕事をし、悩み苦しみ楽しみながら追求している。それが分かったら、もうやる必要はないんじゃないだろうか?
 ミュージアムだってそうであって、「これが世界に認められて、素晴らしいとお墨付きがあるものですよ」と言って観客の皆さんに見てもらうのでは、それこそ「芸術の墓場」であってつまらないし、そんなことをやりたいとは僕はつゆほども思っていない。
 「人はなぜ生きているのか?」という深い「問い掛け」のない人生がどんなに表面的に豊かでもつまらないように、「アートのことをあらゆる角度、ジャンルから考えて感じましょう」という「問い掛け」のないミュージアムは駄目だと思っている。
 2018年に大分県は国民文化祭を開催する。「皆が今までのジャンルに安住しながら、それなりに楽しんでワイワイやったらそれで良い」というようなものならこれも駄目だと思う。
 邦楽や洋楽、詩、短歌、俳句、日舞、ダンス、そしてさまざまな古今東西のアートや工芸、デザイン、建築。あらゆる「ものづくり」の人が交わり合い、カオスのような熱気のるつぼになって、新たな人材が育つのでないと意味がない。それから「何か既存の芸術をやっている人」だけの盛り上がりの会になるのもこれまたつまらない。
 昔の人は花や空、月をめでるという意味で皆アーティストだった。わび茶の創始者、千利休を考えてみていただきたい。人間は生きていること自体がアートなのである。
 そういう意味では、国民文化祭は「県民全員がアーティストなんだ」というのが出発点にならないといけない。僕が目指したいのは「大分県人は全員何かの形でアートをやっている、そんな変で面白い大分ビーナス計画」なのである。

新見 隆(にいみ りゅう)
県立美術館長
武蔵野美術大芸術文化学科教授

 大分合同新聞 平成28年1月11日朝刊掲載

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