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OPAMブログ

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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その三

寄稿 2013.07.15

 10年前は誰も想像してなかったほど、インターネットなど電子メディアによる情報化が進んだ。すると今度は逆に、本当に、これで良いのか、と不安になる。学生たちと議論していても、ほとんどが情報の氾濫と、五感のリアリティーや身体性の希薄化などを嘆く。

 あらゆる情報メディアが本来持つ功罪、もろ刃の剣が、ここにもあるだろうか。想像力をかき立てる反面、その場に行かなくて「見たような気になる」「行った気分にしてしまう」想像上の体験があふれて、乏しくなるのは、「身体で感じる、生の気配や、場の空気感」だろう。

 旅は、思い通りにならないハプニングの連続で、実は、それが楽しめないと、旅をする意味がない。世界と自分の関係を知る、最良の学びの場だ。
 
 僕の先輩に、世界中どこへ行っても、お土産は絶対に買わない、という変人がいて、彼は「風は、その場その時で味わうもので、持って帰れないからなあ」とのたまう。
 
 前回、ラマン・シュレンマーさんという、オープン展国際アドバイザーの一人、ご自身は、インド人にして、ドイツ人という、ユニークな異文化の調停者の話をしたので、今回もう一人の偉大なる、コスモポリタニズムの先駆者をご紹介する。

 香川県高松市の郊外、牟礼(むれ)町という、庵治(あじ)石の産地、石工の町の一角に、日米のハーフにして、世界的彫刻家として活躍した、イサム・ノグチの、個人美術館がある。
 屋島と五剣山とに挟まれた、夏も涼やかな風が吹く、自然の恵みのような場所に、ひっそりと、仕事場や、自宅など、近在の古い民家や酒蔵を移築した、ユニークで、素晴らしい、屋外のミュージアムが立つ。             
            
 ノグチもまた、世界大戦を挟んで、日本と米国の間で切り裂かれ、故郷を失いながらも、世界中を旅して、それぞれの文化を積極的に取り入れて、いろいろな仕事をした、20世紀の、真のコスモポリタンだった。
 1960年代後半に、香川を訪れたノグチは、やがて、石を組んだり、山を切り崩したりしながら、大きな「庭」のような、新しい仕事場=ミュージアムをつくっていった。
 
 私見だが、ノグチは、実はニューヨークの近代美術館のような、シャープで格好の良い「白い劇場」を嫌い、乱暴にいうと、それにけんかを売った人だ。
 
 シャープで切り詰められた、ドラマチックな近代彫刻とそれをきれいに見せるだけに演出するのは、美術エリートだけの、社会に開かれていないミュージアムであって、ノグチは、人々が共有し共感できるような、共同体的なものこそが、これからの世の中には必要だと思ったからだ。
 
 彼は「庭」こそが、21世紀に人類が持つべき、未来の芸術の場だ、と考えた
 
 死の前年に訪れた札幌で構想し、死後17年して、やっと完成した壮大な、モエレ沼公園が、最後で最大の、未来への贈り物になったのは、世界中の美術ファンの知るところだ。
 
 そこでは、ハンググライダーで飛ぶ若者、恋人たち、遊具で、水辺で遊ぶ子供たち、老若男女が、さまざまに憩う。
 
 この壮大な庭には、個人の身体の記憶が交わり、季節や時間の移り変わりをも含み込んだ、大きな自然がある。 
 また、無類の異文化の造形家だったノグチは、そこに、ストーンヘンジや、イタリアの広場、アクロポリス、ギザのピラミッドや、マヤのテオティワカン、さらには、竜安寺の石庭や古代の仁徳陵など、彼が愛した、人類の世界遺産的記憶をも、つくり込んでいった。
 
 ここは、誠にユニークな、前人未到の、五感のミュージアムであり、社会と身体と、人類の文化、そして自然に開かれた、未来の芸術の聖地だ。
 
 僕にとってここは、大分の新美術館の、一つの、大きな目標なのである。

 新見 隆(にいみ りゅう)
  武蔵野美術大学芸術文化学科教授
  大分県芸術文化スポーツ振興財団美術館開設担当理事

大分合同新聞 平成25年7月15日朝刊掲載