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OPAMブログ

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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その三十一

寄稿 2015.12.28

 「まなざしよ裸婦はなべてを見せながら見せぬ背中を保ちてをりぬ」
 「衣ぬぎ裸さへぬぎて立ちたまふ菩薩(ぼさつ)像なり滝であるべし」
 先般土曜の夕刻、竹田出身の歌人、川野里子さんに「ミュージアムで歌会」という会に出ていただいて、多くの人に来て楽しんでもらった。先の2首はその時に川野さんが、グスタフ・クリムトの傑作「ヌーダ・ベリタス(真実の裸身)」と、宇佐市・天福寺の木造菩薩立像の前で朗読してくださった歌である。
 ミュージアムに来て、多くの人は何がしかの感興を覚えるが、なかなかそれを自分の表現として外に表出し難い。そこでそれをスケッチにでも、俳句にでも、短歌にでも「自分のなじんだ形で誰もが表現することが面白い」と思っている。
 そういう「県民皆アーティスト」というリテラシー(能力)を僕はミュージアムを通じて展開していきたい。その取っ掛かりになったイベントだった。
 「出会いのミュージアム」「五感のミュージアム」を掲げてオープンした県立美術館は、11月13日に来館者50万人を突破し、来年1月24日まで開館記念展第2弾「神々の黄昏(たそがれ)」を開催中である。
 ウィーン世紀末が生んだ世界的画家、日本でも人気のある黄金の装飾画家クリムト。彼の初期代表作「ヌーダ・ベリタス」を天福寺に残された日本最古級の木造彫刻ともいわれる、仏像と並べて展示しているのは理由のないことではない。
 ウィーン世紀末に神話や聖書の物語を厚ぼったい筆遣いで描いてきた先輩たちに反発したクリムトらは、新時代の芸術家として「分離派」というグループを立ち上げ、「分離派会館」という黄金のキューポラ(円屋根)の載った、衆目の度肝を抜く館を建てて活動した。その玄関に掲げられていた彼らのモットーは「時代には芸術を!芸術には自由を!」だった。
 これはそのまま新美術館における「大分ビーナス再生計画」=「大分はもともと豊かな風土と、面白くクリエーティブな人間性を持つビーナス的土地柄であって、それを21世紀の若い世代へより豊かなものとして手渡していこうじゃないか!」のモットーに通じる。
 そういうメッセージとともに大分の豊かな文化財の代表として、渡来系の人々が国宝臼杵石仏や熊野磨崖仏などとともに天福寺に彫り残した仏像をミュージアムの新しい壁を背負って立たせたかった。
 クリムト自身は日本にはもちろん来たことがないが、日本が憧れの国であったことは間違いない事実で、彼のアトリエには能面や甲冑(かっちゅう)が置かれていた。そう気づくと、クリムトの画期的にモダンな、細かなうろこのような装飾画面がどこからやってきたのか推察がつく。
 オッペケペで有名な川上音二郎一座のウィーン公演に日参したクリムトは、名花の川上貞奴を褒めちぎって、母にはがきを送っているという。彼ら「分離派」は浮世絵や仏像と、自分たちの作品を並べる展覧会を企画していた。今回の大分での展覧会はクリムト110余年の夢を実現させ、「大分ビーナス再生計画」の核心にしたのだった。
 当館は年末年始無休で、公立美術館には珍しいフル営業だ。新たな年に向かって「大分ビーナス計画」のどうかすがすがしい洗礼を浴びていただきたい。これを逃す手は絶対にないのですぞ、県民の皆さん!

※クリムトやそのジャポニスム(日本趣味)については、ペーター・パンツァー先生、ヨハネス・ビーニンガー博士、馬淵明子先生らの論を借りている。

新見 隆(にいみ りゅう)
県立美術館長
武蔵野美術大芸術文化学科教授

 大分合同新聞 平成27年12月28日朝刊掲載