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OPAMブログ

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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その三十

寄稿 2015.10.26

 先日女房と東京オペラシティに行って、イタリアの作曲家、ジュゼッペ・ベルディの「レクイエム」(死者のためのミサ曲)を聴いた。何でもバチカンで音楽週間なるものがあって、そのための壮行演奏会だそうだ。大司教が演奏前にミサやレクイエムの解説をしたのにはカトリックである女房ともどもいささか驚いた。人気女性指揮者の西本智実さんのエネルギッシュな指揮や合唱、オーケストラとも圧巻だった。
 モーツァルト最晩年の作品といえるかもしれないレクイエムも、フランス近代のフォーレのレクイエムも僕は大好きだ。そんなに「死者のためのミサ曲」が好きなのかと奇異に思われそうだが、僕らクリスチャンは魂の不滅を信じている。人が亡くなるのは無論悲しいことに違いないのだが、追悼ミサで最後に歌われるのは「また会う日まで」というかなり元気の良い勇壮な歌と相場は決まっていて、それは「本当にまた会える」と信じているからだ。
 31日から始まる県立美術館(OPAM)開館記念展の第2弾「神々の黄昏(たそがれ)―東西のヴィーナス出会う世紀末、心の風景(けしき)、西東」はタイトル通り、ウィーン世紀末の画家クリムトの代表作である女神「ヌーダ・ベリタス(真実の裸身)」や、日本の明治浪漫派、藤島武二の女神「天平の面影」(重要文化財、石橋美術館蔵)などヴィーナス同士が出会う。さらにはスピリチュアル(精神的)な絵画作品などが宇佐、国東の文化財を中心にして出会う。重層的でダイナミックな企画である。
 ルドルフ・シュタイナーという非常に変わった、けれど本質的なことを追求した20世紀きっての傑出した思想家を中心に、20世紀の抽象絵画の冒険や現代に活躍する作家たちの果敢な挑戦をも紹介するものだ。
 僕なんか半可通の耳学問で人の説の寄せ集めだが、シュタイナーは都市化や工業化が進んで、人間がテクノロジーの発達に危惧やストレスを感じ始めていた20世紀初頭に「もっと宇宙や自然の根本生命、見えない霊気と人間がアートや踊り、農業、工芸などで結び付いて、眠っている全感覚を開発して高めていかないと、世界や社会は滅びる」と考えて、前人未到の全人間的な芸術教育機関?なる「人智学協会」を起こし広げた。
 考えてみると、アートはやはり不思議な見えない力を備えていて、あるいは信じている。だからアートは全てスピリチュアルなものだ。神秘主義とか難しいことを考えなくても、唯物論者でない限り、多くの人はほとんど皆「見えないものの力」を信じている。
 先年亡くなった、長くニューヨークで活躍していた荒川修作さんという作家は晩年に、岐阜に「養老天命反転地」という大変ユニークな「普段眠っている人間の感覚を開発する」公園を設計し、東京三鷹に「三鷹天命反転住宅」という奇想天外なカラフルで種々雑多な素材を使った家(アパート)を建てた。彼は本気で「アートは死を超えられる」「死なないための芸術」ということを考えていた。
 今回の企画のポイントは宇佐・国東の文化財、とりわけ天福寺の木造菩薩(ぼさつ)立像など「大分のヴィーナス」たちを、ミュージアムで県民の皆さんに「現代に通じる美神」として再発見してもらうことである。OPAMの思想は「大分そのものがヴィーナスなのだ」ということで、それは未来永劫(えいごう)変わらない。

新見 隆(にいみ りゅう)
県立美術館長
武蔵野美術大芸術文化学科教授

 大分合同新聞 平成27年10月26日朝刊掲載

「天福寺 木像菩薩立像」=奈良~平安時代前期、宇佐市黒区 ルドルフ・シュタイナー、エディス・マリオン「オイリュトミーフィギュア(ルドルフ・シュタイナーのスケッチによる)」の右から「I」「B」「M」=1922年、ルドルフ・シュタイナー・アーカイブ(ドルナッハ、スイス)
「天福寺 木像菩薩立像」=奈良~平安時代前期、宇佐市黒区 ルドルフ・シュタイナー、エディス・マリオン「オイリュトミーフィギュア(ルドルフ・シュタイナーのスケッチによる)」の右から「I」「B」「M」=1922年、ルドルフ・シュタイナー・アーカイブ(ドルナッハ、スイス)