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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その二十八

寄稿 2015.08.31

「ゴルゴ13」の176冊の表紙が壁一面にずらりと並ぶ「『描く!』マンガ展」の会場

「ゴルゴ13」の176冊の表紙が壁一面にずらりと並ぶ「『描く!』マンガ展」の会場

 8月は「進撃の巨人展」と「『描く!』マンガ展」のダブル開催だった。30日で終わった「進撃の巨人展」は5万人突破の記録を打ち立てた。この作品はただドラマチックで、刺激的な興奮を喚起するのが目的ではないと僕は見ている。その底にあるのは「生きとし生けるものへの愛惜」のような気がしてならない。
 作者で日田市大山町出身の諫山創さんは、静かな情熱を秘めた好青年で、これからも現代の若者たちがクリエーティブな刺激を受けるような「すてきで愛らしい人間と巨人たちの戦い?=愛憎の山河」を描き続けてくれるのを楽しみにしている。
 「『描く!』マンガ展」は9月23日まである。これは監修してもらった漫画評論家の伊藤剛さんと、漫画の歴史研究や顕彰に携わる多くの学芸員たちの総力を結集した珠玉の展覧会だ。それぞれの時代をリードした巨匠作家のオリジナル原画はもとより、マニアならずとも目が離せないような雑誌の付録などの垂ぜんの資料が満載で、多くの観客が熱心に鑑賞している。
 僕ら昭和30年代生まれはまだ「貸本屋文化」を知っていた。それらが娘や息子らが熱狂した1990年代以来大ブームだったコミック・マーケットへと続き、さらには現代の「1億総漫画家」の観を呈するpixiv(ピクシブ=自ら絵を描いて投稿するインターネット・サイトのコミュニティー)に及んでいることが手に取るように分かる。
 巨匠手塚治虫の少年時代の素晴らしい「手製本自作漫画本」を見て感動した。思えば僕らは皆それぞれ手製の漫画を描く「1億総アーティスト」だったのだという日本文化の大変面白い側面が見えてくる。ぜひ大分の皆さんにはお見逃しなきように願いたいと思う。

福田平八郎「写生帖」=1924(大正13)年、県立美術館蔵

福田平八郎「写生帖」=1924(大正13)年、県立美術館蔵

 僕は元来キュレーター、「物=作品」の展示屋なので、自分が一番興奮し、体中の熱気が宇宙と一体になるように高揚するのは、作品を展示するときである。展示するときには、自分の気と作品の気が空間の中で宇宙的に交流し、渦になって立ち上がる、そういう瞬間をよく感じる。それが展示の醍醐味(だいごみ)だ。
 夏の初めにコレクション展の展示替えを学芸員と一緒に行った。その時に日本画の名匠福田平八郎のおびただしいスケッチ群をあらためて見て、ある種の深い感興を覚えた。
 とりわけ素晴らしいのは季節の折々に、庭に咲く花々を鉛筆でスケッチし、ササッと水彩で色を付けた植物画のスケッチブックだ。時にブドウのつるをはう羽虫などが精密に生き生きと描いてあるものもあって、そのスケッチ熱には心底驚かされる。こういう何げない素描が抜群にうまかった人に陶芸家の富本憲吉や北大路魯山人がいる。画家だから当然だが、福田は全く引けを取っていない。
 富山の氷菓子の菓子折りやら展覧会で見た絵や織物の印象など、福田は何でもかんでも「飽くことなく描くスケッチ熱」の人だ。「描く」ということが「生きることそのもの」であるような福田の豊かで真摯(しんし)な 人生の時間がこれらのスケッチ群には詰まっている。
 僕は何でも面白いと感じればすぐに影響を受けて自分もやってみる、エピゴーネン(物まね)癖の抜けない単純な人間だ。この夏は当分やっていなかった植物スケッチを再び始めた。
 僕の夢は福田の花や鳥のスケッチから幾枚かを選んで自分で童話を描き、すてきでしゃれた絵本を出版することだ。そして「描くことは楽しい」「絵に下手や上手などないのだ」と大合唱しながら、これから大分全体に「県民皆アーティスト運動」「スケッチ楽園運動」というのを展開しようかともくろんでいるところである。

新見 隆(にいみ りゅう)
県立美術館長
武蔵野美術大芸術文化学科教授

 大分合同新聞 平成27年8月31日朝刊掲載