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「イメージの力 河北秀也のiichiko design」寄稿記事【1】

展覧会 2023.02.25

 大分市寿町の県立美術館で「イメージの力 河北秀也のiichiko design」(大分合同新聞社共催)が
開かれている。同館の担当学芸員が見どころを紹介する。

 河北秀也は、1947年、福岡県久留米市に生まれました。デザイナーを志すようになったきっかけは、
高校時代に見た東京オリンピックの華やかなポスターでした。

 当時、河北は、九州でも有数の進学校として知られる久留米大付設高の生徒でしたが、1年次の進路決定の時に
東京芸術大への進学を希望すると、先生に転校を勧められ、2年次からは結婚した姉夫婦が暮らしていた
宇佐市の宇佐高に通うようになります。宇佐高時代は、美術部に入り、勉強そっちのけで絵ばかり描く
毎日だったといいます。

 高校を卒業した河北は、67年に東京芸術大工芸科に入学します。日本デザインセンターをはじめ、
さまざまなデザインの現場に出入りするようになるのはこの頃からです。

 大学2年の時にはアルバイトをしていたサクマ製菓でわが国初のクランチキャンディー「いちごみるく」の
パッケージデザインを担当。地味なデザインが一般的だったあめの包装をサイケデリック模様のかわいらしい
ポップなデザインに仕上げ、好評を博します。その後、「いちごみるく」は記録的な大ヒット商品となりました。

 大学の卒業制作で取り組んだのは、東京の地下鉄路線図でした。鉄道が好きで鹿児島から東京までの駅名をすべて
暗記していたという河北でも、東京の地下鉄はなかなか乗りこなせなかったといいます。
この世界一複雑といわれる東京の地下鉄を誰もが簡単に乗りこなせるようにするというのが河北の狙いでした。

 制作は困難を極め、結局完成したのは卒業翌年の72年となりますが、この路線図は非常に画期的なもので、
東京都内を移動する人の必需品となります。当時は毎年1千万部以上が発行されました。

 河北がデザイナーとして注目されるきっかけとなったのが74年から手がけた営団地下鉄(現東京メトロ)の
地下鉄マナーポスターシリーズです。ひねりの効いたユーモアあふれるデザインを基本とし、
マリリン・モンローやチャールズ・チャップリン、渥美清といった国内外の有名人を起用したポスターは、
毎回話題となり、国内外のメディアを席巻しました。

 「パロディー広告の元祖」とも呼ばれるこのポスターシリーズは、それまで地味な存在であった公共広告に
新たな可能性を提示しました。

(県立美術館主幹学芸員 吉田浩太郎)

令和5年2月25日 大分合同新聞掲載

 

地下鉄マナーポスター1976年6月 地下鉄マナーポスター1976年7月
地下鉄マナーポスター1976年6月 地下鉄マナーポスター1976年7月