展覧会

20世紀の総合芸術家
イサム・ノグチ

-彫刻から身体・庭へ-

彫刻をはじめ、舞台美術、家具、照明器具のデザイン、さらには、公園などのランドスケープ・デザインにまで、幅広い活動を展開した20世紀を代表する芸術家イサム・ノグチ。芸術と社会のつながりの回復を願った、ノグチの開かれた芸術、その革新的なヴィジョンを、国内外から精選した作品で紹介します。

[共催]TOSテレビ大分
[企画協力]The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)、公益財団法人イサム・ノグチ日本財団 イサム・ノグチ庭園美術館
[後援]アメリカ大使館、大分県、大分県教育委員会、大分県芸術文化振興会議、NHK大分放送局、エフエム大分、大分ケーブルテレコム株式会社
[協賛]ライオン、大日本印刷、損保ジャパン日本興亜
[協力]公立大学法人大分県立芸術文化短期大学、大分県デザイン協会、日本貨物航空、日本航空、日本通運
[助成]平成29年度 文化庁 文化芸術創造活用プラットフォーム形成事業

○チケット(前売券・当日券)販売場所


大分県立美術館、iichiko総合文化センター 1F インフォメーション、TOSハウジングメッセ、トキハ会館 3F プレイガイド、豊後プロパン「ビートパワー」、ヱトウ南海堂、大分市府内五番街商店街振興組合、大分県芸術文化振興会議、大分県職員消費生活協同組合、ローソンチケット(L81358)、チケットぴあ(P768-587)

※9月12日(火)より販売開始予定

※ローソンチケットおよびチケットぴあは 2017年9月1日(金)より販売開始です

 

展示構成

第1章 身体との対話

この章では、彫刻やドローイング、舞踏家とのコラボレーションなど、様々な創作活動を通じて人間の身体と向き合ったノグチの仕事を紹介します。
ノグチは10代後半から彫刻に取り組み始めますが、 20代前半にパリに留学、20世紀を代表する抽象彫刻家コンスタンティン・ブランクーシに師事します。ニューヨークに戻ってからは、自活のため、依頼者からの注文を受け、肖像彫刻を手がけます。20代の半ばには北京に7ヵ月間滞在、篆刻・水墨画の巨匠であった斉白石と出会い、墨絵を学び、北京ドローイングと呼ばれる大作の身体素描を残します。その後に訪れた日本では、テラコッタによる身体像を制作しました。また、ノグチはダンス等の舞台装置を手がけ、舞踏家マーサ・グラハムとは1935年の「フロンティア」以降、30年に及ぶ共同作業を行っています。それはノグチに身体と彫刻との関係について重要な示唆を与えました。

トピックス1  北京ドローイングの迫力
1930年、若きノグチが北京を訪れ、篆刻、水墨画の巨匠として知られた斉白石に手ほどきを受けて制作した身体ドローイングを特集。等身大に迫る巨大な画面に、一気呵成に描かれています。身体の軸にそって引かれた、太く力強い毛筆の描線が、肉体をドラマティックに喚起させます。
ノグチは、身体の本質的フォルム、力動、エネルギーといったものを、毛筆の躍動的な動きに結晶化させ、掴み取ろうとしています。終生、自然や身体をテーマとしたノグチ芸術の出発点の一つとして重要な作品群です。

トピックス2  マーサ・グラハムとのコラボレーション
生涯において彫刻にとどまらず多岐にわたる活動を行ったノグチですが、1930年代からは舞台美術にも取り組んでいます。《鏡》はマーサ・グラハムのダンス「ヘロディアド」のためにノグチが制作した舞台装置のひとつ。鏡に映った女性の身体を表しています。後にブロンズで鋳造されました。ノグチが手掛けた舞台の仕事を、彫刻、ドローイング、映像等から紹介します。「総合芸術家」としてのノグチの活動を見ることができます。

1.《伊藤道郎の像》1925~26年
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク) 2.《北京ドローイング (傾く男と少年) 》1930年
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク) 3.《マーサ・グラハム「ヘロディアド」》
左端に見えるのが舞台装置《鏡》
1.《伊藤道郎の像》1925~26年
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)
2.《北京ドローイング (傾く男と少年) 》1930年
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)
3.《マーサ・グラハム「ヘロディアド」》
左端に見えるのが舞台装置《鏡》

第2章 日本との再会
ノグチは戦後、1950~53年にかけて、自身のもうひとつのルーツである日本を訪れ、丹下健三、猪熊弦一郎、長谷川三郎、勅使河原蒼風、北大路魯山人、岡本太郎など、当時の前衛芸術家たちと交流しつつ、精力的に新たな創作活動を展開させていきます。
ノグチが最も熱中したのが、大地から得た粘土と火によって生み出される陶作品(テラコッタ)でした。ノグチはこの仕事を、“陶器による彫刻”ととらえています。日本の伝統や自然の中から抽出したフォルムを、現代的でユニークな形へと甦らせています。
またノグチが岐阜県を訪れてデザインした照明器具《あかり》は、伝統的な岐阜提灯をモダンに甦らせたもので、ノグチはこれを“光の彫刻”と明言しています。この章では、ノグチが日本で取り組んだ仕事に焦点をあて、生活や環境そのものと結びつき、彫刻として機能する作品を生み出していこうとするノグチ芸術の拡がりをご紹介します。

トピックス3  映画スター山口淑子との結婚
1951年、イサム・ノグチは、滞在中の日本で、映画スター山口淑子(1920-2014年)と結婚しました。淑子は、戦前の中国で李香蘭として活躍しましたが、戦後、日本に帰国して『暁の脱走』『醜聞』などの銀幕のスターに返り咲いていました。また渡米してハリウッド映画やブロードウェイミュージカルにも出演を果たしています。ニューヨークでノグチと出会ったのはその頃でした。当時のマスコミは、第一線で活躍する前衛彫刻家と、映画スターの交際を華々しく報じました。ふたりの結婚は、日米友好のシンボルともとらえられました。
結婚を機に、ふたりは北鎌倉の北大路魯山人が提供する古い農家に同居します。この頃のノグチの陶作品には、淑子への深い愛情をかたちにしたものが見られます。

4.《二枚の板の愛》1950年
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク) 5.《ロングアイランド・シティのアトリエで〈あかり〉に囲まれたノグチ》 6.《北鎌倉の住居》
4.《二枚の板の愛》1950年
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)
5.《ロングアイランド・シティのアトリエで〈あかり〉に囲まれたノグチ》 6.《北鎌倉の住居》

第3章 空間の彫刻―庭へ
この章では、ノグチ最晩年に至るまで長く手掛けてきた公園や庭など、彫刻の量感的なイメージを覆すノグチの地球そのものへの取り組みを紹介します。
ノグチの庭に関する発想の原点は、幼い頃の日本での生活とその思い出の中にある日本庭園に始まります。20代には世界中の遺跡を訪ね、古代からの人類の知恵と造形が密接につながっていることを知ります。ノグチの彫刻家としての仕事は、その多くがフィールドワークを通して人類と地球との関わりを探し求めるものでした。1933年には《遊び山》が構想され、のちの《パリ、ユネスコ本部の庭園》の設計にも携わりました。《プレイグラウンド》から遊具への関心、そしてパブリックスペースにおける巨大なモニュメントの制作へとそのフィールドを拡げました。《チェイス・マンハッタン銀行プラザのための沈床園》は、日本庭園にみる静寂な佇まいに人々の憩う空間を創出しています。

トピックス4  “プレイグラウンド”=札幌《モエレ沼公園》
ノグチが亡くなる直前まで精力的に手掛けた札幌の《モエレ沼公園》には、ランドスケープを手掛けるきっかけとなった《遊び山》が再現されています。ピラミッドの形をした三角形の斜面には頂上まで続く階段がそびえ、その反対側には長く緩やかなスロープがあります。《モエレ沼公園》は、ここを訪れる人々が登り、歩いて体験するための“遊び”の要素が盛り込まれた“プレイグラウンド”なのです。

7.《ユネスコ本部の庭園》パリ 8.《ニューヨークのブロードウェイに立つ〈レッドキューブ〉》
Photo by Michio Noguchi 9.《モエレ沼〈遊び山〉》
Photo by Hiroo Namiki
7.《ユネスコ本部の庭園》パリ 8.《ニューヨークのブロードウェイに立つ〈レッドキューブ〉》
Photo by Michio Noguchi
9.《モエレ沼〈遊び山〉》
Photo by Hiroo Namiki

第4章 自然との交感―石の彫刻
数々の庭のプロジェクトとならんで、ノグチの後半生を代表するのは、多彩な石の彫刻です。直線や円などシンプルなフォルムを基本としながら、ときに自然のままの石の表情をたたえた作品群は、従来の彫刻の概念を超える極めてユニークな成果です。世界を旅し、古今東西の石の文化に学んだノグチにとって、石とは、たんに自分のもとめる形を実現するための素材ではなく、地球の悠久の歴史や自然の摂理を語る、極めて根源的な存在でした。ノグチは石を自分の意志に従わせるのではなく、むしろ石と対話し、石の声を聞くことによって、我々人間の身体感覚を大地や環境へと結びつけ、空間へと広がって行く、大らかで豊かな作品世界を実現させました。その成果の一端をご覧いただきます。

トピックス5  若き石工和泉正敏との出会い
ノグチは1964年、香川県高松市に近い石材業の町、牟礼町(現・高松市牟礼町)で若き石工和泉正敏と出会い、以後の制作の重要な協力者としました。1969年には牟礼の地にアトリエを構え、ニューヨークとならぶ制作の拠点としました。ノグチは、和泉と寝食をともにしながら制作に没頭し、和泉の石匠としての知識と技術に助けられ、またさまざまなアイデアとインスピレーションを得たのです。また牟礼のアトリエの周囲は和泉の協力によって庭園に作りかえられ、ノグチの庭園作品として極めて重要な位置を占めています。現在は多くの作品とともに「イサム・ノグチ庭園美術館」としてノグチ生前のままの姿で公開されています。

10.《不死鳥#1》1984年
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)
公益財団法人イサム・ノグチ日本財団に永久貸与 11.《イサム・ノグチ庭園美術館 石壁サークル》
Photo by Michio Noguchi
10.《不死鳥#1》1984年
イサム・ノグチ庭園美術館(ニューヨーク)
公益財団法人イサム・ノグチ日本財団に永久貸与
11.《イサム・ノグチ庭園美術館 石壁サークル》
Photo by Michio Noguchi

Photo 1,2,4: ©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR. Photo by Kevin Noble.
Photo 3,5,6,7,8,9,10: ©The Isamu Noguchi Foundation and Garden Museum, New York / Artist Rights Society [ARS] - JASPAR.

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