文字のサイズ
色変更
白
黒
青

OPAMブログ

印刷用ページ

愛の植物譚 -染色家、古澤万千子さんのワークショップ報告記

new展覧会 2017.12.01

[ 日本固有の浪漫主義 ]
 紅葉のさなか、大分にも冬の気配が近づいた先週の土曜日午後、我が大分県立美術館で、大分県が誇る芸術的宝のお一人である、染色家、古澤万千子先生による、三時間のワークショプが行われた。
 かなり前からの満員御礼で、キャンセル待ちの人も詰めかけるなど、大盛況だった。
 肝いりで、ナビゲーターもやったのは、教育普及のリーダー、野生児、榎本寿紀さんで、古澤さんの染めた着物、布地なども持ち込んでもらって直に見られるように展示し、古澤さんの型染めのプロセスが分かるような、OPAM教育普及ボックスも開陳しての、力の入った渾身の企画。
 一服の清涼剤のような会で、古澤先生のお宅の庭か、アトリエでお話をきいていたような、晴明で朗らかな気配、温かな雰囲気がまだ身体に残っている。というより、この話を聞き逃した人は、誠にもったいないことをしたものだ、と独りごちた。
 古澤さんの仕事の真骨頂は、私どもに静かに語りかけ、独特の柔らかな、モダンな感受性を引き出してくれる点だろう。可憐で可愛らしくもあり、また舞踊的な躍動感も、無類だ。
 それは、私ども日本人に固有の、浪漫主義に近いものだとも、思えるのである。
 ドイツ浪漫派の詩人たちは、すべての芸術の源は、自然そのものにある、と考え、信じた、という。それは、戦後の工業復興で荒廃したシュヴァルツヴァルト、黒い森の再生を含んだ、未曾有の環境改善運動の、起爆薬になったものでもあった。世界に広がった、エコロジー運動の源泉にも、ロマン主義の伝統はあったのだ。(註1)
 ひるがえって、日本にも、別なかたちで、そういう自然崇拝的ロマン主義はむろんあった、と思う。それは、言うまでもなく、古代にあって、米作が移入されても、長く狩猟を続けた、続けられた、そういう森と川に育まれた、日本の豊かな自然環境そのものが培ってきた、感受性そのものであったのではないか。(註2)
 古澤さんは、幼い頃から、樹々や植木、植物が、かけがえのない友だったという。浅草の下町に育った植物好きのお嬢さんは、お金持ちになったら、散水車を買って、東京中の街路樹に水をやることを、夢見た。
 私どもの親の世代は、花の名前、鳥の名前を、皆じつによく知っていた。それが、小難しいことではなく、日本の文化であり、伝統そのものであったのだ。
 
[ 魅せられて、植物 ]
 地上の生命で、その言葉どおり、輪廻転生を繰り返して、生の営みを行っているのは、植物だけだ。だから、私どもは、植物の神秘に無限の憧れをいだく。
 また、型染めの本質であるのは、作家の思い描いた紋様が、まず紙を切って転移され、さらに染料で布に染めだされ、そうやって、「動いて、踊って」ゆく、その揺らぎのプロセスが、植物の生育、その自然の原理の輪廻転生に重なるさまだろうか。
 お庭の奥の方に、偶然見つけた、アミガサタケの、思いもかけない、白いレースのスカートを纏った姿に、天使を飛ばして、布地に染めた話。トルコに旅行した、その思い出を、再生する紋様。さまざま、実体験の臨場感を、シャイに、恬淡に語る古澤さんは、ふだんの、少女のような若々しい空気感を、会場いっぱいに感じさせた。
 また、話は染織の歴史から、日本の外来文化の受容の問題にまで、無理なく、広がったのにも、大いに刺激された。正倉院裂に見られる、中国から伝播した「高度な技術、その達成」を、織りは輸入のままを続け、草木染めの染めの技術を取り入れ、自らのものにしながら、長く、紋様のない無地の染めを洗練させていった中世。その、ユニークな達成としての「十二単衣」。『源氏物語』の美学に重ね合わされる、当時の王朝貴族文化の美意識の話へと続いた。
 
[ 花から、葉へ-生命の循環 ]
 古澤先生は、絞り染めの神秘を、そのようにして、また、じっくり語ってくださった。
 絞って隠れた部位が、生地のまま出て、また、外に剥きだされ現れた部分が、藍に染めだされる。私どもは、そのお話に、「陰陽五行」ではないが、陰陽の反転する世界、その、夢幻の世界観のなかに生きる人間の生を想った。
 そして、圧巻は、桃山期に現れた、日本で初めての紋様という、「辻が花」染めの、話だったと感じる。
 染め織りの受容後長くたって、やっと平織りの織りが始まったこの同じ時期に、機が熟したのか、絞りによって、花を染め出す、「辻(絞りによって、出来る花弁というか、その花弁の、一枚いちまいを隔てる、筋=辻)の、花」や、そして「紋様を描く」ことが、始まったのも、不思議な偶然ではないように思える、と。
 文化の成熟が、手仕事、つまり私ども身体の歴史と、重なり合う、稀有な瞬間のことだろう。
 他にも、日本の染色の歴史を探求した、実践的研究家、吉岡常雄の大著や、藍染の、深い探求家、愛知の故片野元彦父娘の話や作品集、竹田の絞り染めや、枯葉を長野県黒姫で、細密的に描く女性画家の話など、興味の尽きない内容の、垂涎の全貌は、ここではもうとうてい、紹介できない。
 私事になるが、その名が「藍」という我が娘に、レクチャー後、こうメールした。
 「本日、古澤先生レクチャー。日本で初めてあらわれた「紋様」は、神事のための袴に、藍で描かれた、鶴の松だった、という。藍は、吉祥の使者として、歴史に登場した訳だね。」
 話のあいだじゅう、眼を奪われ、話に聞き惚れながらも、私にとっても、憧れの布地が、また脳裏を巡っていた。
 ドイツ世紀末の詩人リルケの、パリの思索『マルテの手記』に出てくる、あの「一角獣と貴婦人のタピスリー」。元のクリュニー修道院にあった、十五世紀の六枚の、五感をめぐる、毛織り物だ。現在は、同じオデオンの、フランス国立中世美術館にある。
 そして、中宮寺にある、国宝「天寿国繍帳」の、鮮やかな、天国を舞う、色の群れを想った。
 大分から武蔵野のサナトリウムに帰って、桜の枯葉の香りいっぱいの森を、歩いた。そこにもまた、植物生命の不可思議な輪廻転生の、「いままさに」の、現存が、そこここに、散らばっては、息づいていた。 
 
(註1)元アーヘン工科大教授の、建築史家、マンフレッド・シュパイデル先生にきいた話。
(註2)元文化庁長官の、美術史家、青柳正規則先生の説。