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OPAMブログ

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​OPAM新見館長のアート日記

new寄稿 2017.12.01

「「世の中」を捨てて、「世界」に向き合おう」
 別府の奥の院、鉄輪は、郷愁を誘う、佳き土地柄である。
 そんな鉄輪が、今やその鄙びた風情を残しつつ、いっぽうで若い世代や観光客に上手くアピールしながら、ユニークな町起こしをやっている。
 「熱狂的な温泉マニア」ではない私だが、やはり、坂と湯煙は、風情があって、ずっとそこに居たくなる、味のある「トポス」=土地の風味、満点である。
 古里尾道は、川の流れのような狭い海、尾道水道を向かいの島とはさんで、渡船フェリーの行き来する、造船所のドックの槌音の響く、古刹と坂の町。メディアを賑わす話題も多い、遠いは、昭和の大大衆作家、林芙美子の『放浪記』、巨匠小津安次郎「東京物語」か、近いは、名匠大林宣彦監督の、「尾道三部作」かな?
別府から坂を上がって鉄輪にいくと、遙か遠くに別府湾が見えて、何だか故郷に舞い戻ったようで、子供時代にタイムスリップしたような気分になる。
 鉄輪町起こしの有志が集って、ここ何年か、「鉄輪スケッチ大会」を十一月の日曜日に行っている。
 昨日も、百人を超える参加者があって、老若男女賑わった。
 お天気も良く、ポカポカ「スケッチ」日より。
 私も、審査員ということで参加し、昼前から、長いことご無沙汰だったスケッチに時間を忘れて、没頭した。やっぱり、鉄輪は絵心を刺激する町だ。しかも、子供たちが、描いていると寄って来るので、一人ひとりを絵の中に入れて描いてあげる。
 子供たちは、皆元気いっぱいで、楽しくスケッチして、ご存じ、名物「地獄蒸し」の卵とサツマイモをおやつにパクつきながら、温かい陽を気持ち良さそうに浴びた。
私は、素直でお行儀もよく、気持ちの良い挨拶が出来る、皆「大人」なのに、いささか吃驚した。「ちょっと、君たちお行儀良すぎるんじゃない?僕らの頃は、もっと腕白だったかなあ?」と首を傾げるが、たぶん、悪戯坊主というより、単に大人の言いつけを守らなかっただけだろう。
審査会で、ぜんぶの絵について、何としてでも、何かコメントしたかったのだが、審査や賞の発表、表彰が終わっても、得意の「性格判断、人生占い」(私は、この作品読み取り、心理術を得意とする)に、長蛇の列が出来たのは、申しあげるまでも無い。
言いたかったことは、たった一つのこと。
絵は、上手い下手では、絶対に、無い。
いったん、白い紙に向かったら、自分が主人公、世界の王さま、女王さまである。
何をどう描こうが、自分の勝手、絵という舞台のあなたは、支配者なのである。 
もちろん、ふだんは、人間誰しも、小学生だって、大人だって、そして隠居した人たちだって、皆「世間」、「世の中」という、この訳の分からない、そして、いつでも「私」や「あなた」を、抑えつけ、支配し、従えようとする、このえげつない社会の一員として、「生きさせられて」いる。
だから、「生きていくこと」、「社会的動物」であることは、いつも、何とも、「不自由だ」。
芸術の根っこには、「まったくの、自由」、「何をやっても、構わない」という、そうした社会の因習や習慣とは、正反対の「素敵な自由」がある。そのことを、大分の子供たちには、是非わかってもらいたいのである。
ところで、牽強付会にまた話題を振ると、来年の国民文化祭は、大分県民が、皆「踊る」大茶会である。(再来年は、また、ラグビーもあるらしいね?だから、どうした?と言いたい気持ちもあるにには、あるが、、。)
じゃあ、取り敢えず来年、皆んな、どう踊るのか?
そんな、マニュアルなんて、有る訳ないでしょ?それを承知で、じゃあ、「踊る阿呆に、見る阿呆に」、誰がなるのか?ならないのか?そこが、また面白いんじゃ、ないでしょうかね?皆さん?
いずれにしても、そこでは、しばし「世間」や「世の中」を忘れて、自分が、一人ひとりが、王さま、女王さまとして、まっさらの「自分だけの、新しい世界」に向き合っていただきたいのである。



新見 隆(にいみ りゅう)
県立美術館長
武蔵野美術大学芸術文化学科教授

 大分合同新聞 平成29年11月21日夕刊掲載