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OPAMブログ

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「アートも食も」 県立美術館長の大分ビーナス計画 その十六

寄稿 2017.03.04

開館3年目は大分の皆さんに十二分にいろんな角度から美術館を楽しんでもらおうと思っている。食や陶芸を中心にマルチ芸術家として活躍した北大路魯山人(1883~1959)の大規模な展覧会を4月15日から開くために、現在鋭意準備中だ。
秋のメイン企画展では、日米ハーフの彫刻家で舞台や庭の設計まで手を伸ばしたイサム・ノグチ(1904~88)の展覧会をやる予定だ。今回はその前宣伝をしたい。
日本が世界に誇る美術家は数多いわけだが、その中でも魯山人はスケールが大きく、今日でも謎の多い人物として私たちの前に立ちはだかっている。最近ではお茶の宣伝に使われたり、グルメ漫画の登場人物のモデルとしてクローズアップされたりして、一般にも知られるようになった。
「天上天下唯我独尊」と自ら書いた魯山人は、今までの美術の制度や既成のアートの考えに全くとらわれなかった。そのユニークさが今も新しい。
美食家であり、料理が天才的にうまく、盛り付ける器を作るために陶芸にも手を染めたという。僕はこういう奇想天外な人に長く興味を持っていた。というより、この年になるとそういう人しか芸術家でも興味がなくなったというべきか。
備前焼は薪の松の灰が高温で溶けて流れかかった自然釉(ゆう)である。魯山人は袋に詰めた灰を登り窯の天井につったという。
一般の常識にとらわれる人間が嫌いだった魯山人の晩年に、弟のようにかわいがられて意気投合し、北鎌倉の窯場の一隅に暮らしたのがノグチである。破天荒な野心家の詩人の父と米国人作家の母から生まれ、20世紀人として世界を股にかけ、数奇な生涯を送った。
1950年代初めにニューヨークで彫刻家として名を成したノグチは、さまざまな仕事で日本に呼ばれ、魯山人の窯場の一隅で新婚の女優山口淑子と共に暮らした。
戦後に父の母国に戻ったノグチは美術家たちを前に「今の日本は伝統を忘れている。ピカソの物まねばかりだ」と喝破したと伝えられている。ノグチが自ら範を示したものが二つある。
一つは岐阜ちょうちんを「光の彫刻」に見立て、200に及ぶバリエーションを生み出し、「日本デザイン」として世界中に評価される「あかり」だ。
もう一つは魯山人の窯場で自由自在に粘土を造形して「子どもが作ったような」空前絶後の陶彫群だ。神奈川県立近代美術館(鎌倉市)での発表では、当時の陶芸界を揺るがし、八木一夫や辻晉堂、岡本太郎にまでその「前衛」造形を思い知らせたという。
約20年前に東京から4カ所を巡回した「イサム・ノグチと北大路魯山人」展を企画した。その時には現代日本に不可欠な「伝統の革新力」を2人に学ぼうというメッセージを込めた。
今年のOPAM(県立美術館)では、2018年に開催される「国民文化祭」の前哨戦として、この2人を春と秋に分けて紹介するのである。そこに込めるのもまた「大分の伝統に革新を」という思い以外のものはない。
新見 隆(にいみ りゅう)
県立美術館長
武蔵野美術大学芸術文化学科教授

 大分合同新聞 平成29年3月4日朝刊掲載