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OPAMブログ

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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その十

寄稿 2014.02.17

 新しい美術館のために、何とかうまいキャッチフレーズはないものかと展覧会などの仕事とは別に、日々いつも考えている。

 それは広告代理店がヒット商品をつくるのとも違って、何かオッという驚きもありながら、半信半疑でもとにかくそれを使いながら皆さんがジワジワと味わい、かみしめ、楽しんで、育ててくれるようなものが良いと思っている。

 空港や駅で「日本一、温泉県」という広告を見るたびに「温泉ももちろん良いけれど、それだけじゃ、これからは駄目なんじゃないの?」と思うし、そういう複合技を狙う意味合いで、新しい美術館もできるわけで、するとどこか四国の県みたいに「温泉だけじゃない、大分」と人まねをしそうにもなる。

 僕は「大分表現主義」というのをここで言ってみたい。

 そのココロはまず「今は発信がないと駄目だ」ということだ。いろんな情報や文化を外から取り入れることは今の時代、誰でももう存分?にやっていることではないだろうか?だけれども「じゃあ、あんたの文化はどういうの?」と聞かれた時に「こういうのじゃ!どうだ!」と言える気概と勇気が大分には欠けているような、長く「欠けていたような」気がする。だから「日本一、温泉県」とつい言ってしまうのではないだろうか。

 表現主義というのは、ドイツの20世紀初めに、起こってきた芸術運動だと理解してもらったらいい。原色を使った色彩を激しいタッチで描く絵画が有名だが、彫刻も、そしてモダン・ダンスなどの新しい芸術の総合や舞台芸術なども盛んで、さらには都市の郊外に芸術家やそれこそドロップアウトした若者が、原始的な共同生活に憧れて集まった自由な「アーティスト・コロニー」がそこここにあった。

 ドイツはそれぞれの地方風土の面白さ、特色、地域愛、郷土愛などが強くて、近代的な国の統一が遅れた。地方色が豊かだというのは大分にすごく似ている。また非常に家父長的で権力志向のマッチョな文化も根強かったんだが、豊かな自然を愛する「治癒」の文化、結核のサナトリウム療養所などが、森林浴のような形で山間部に発達して、マッチョで抑圧的な権力を嫌った、都市から逃げてきた若者やアーティストたちが、郊外の森に自然回帰のコロニーをつくった。温泉文化や磨崖仏のある大分にも似ているじゃないか。

 第一次大戦後は、貧しい苦難の時代に、ワイマールに民主主義的な政権が起こり、20世紀最大の革命的な芸術学校「バウハウス」も始まった。ナチスが政権を取ってからは歴史が教えるように、悲劇的で凄惨なホロコーストなどを経て、苦難を体験した。戦後は奇跡的な重工業の発達で、黒い森シュバルツバルトの自然が壊滅すると、すぐさま環境保護運動が盛んになり、ドイツの大勢は世界一のエコロジー立国に傾いた。

 それには18世紀ゲーテの時代からすでに、文化芸術のインスピレーションの源泉が自然であって「自然が滅びれば、文化は廃れる」という強固なロマン主義の伝統があったからである。

 日本にエコロジーが真の意味で根付かないのは、それを支える文化の伝統がないからだ。

 大分にはさまざまな郷土色、祭りや食の伝統、海山草原渓谷、さまざまな自然を愛する風土があるし、何より「治癒の文化」だった温泉がある。

 温泉を単なる「ああ、気持ち良いな」的エンターテイメント施設に終わらせず、新しい「大分表現主義」やロマン主義的「踊る大分県」に再生させ、「神話を再創造する」のが新しいミュージアムの責務であると僕は感じている。

 だったら、これから大分県の観光ポスターは「ココロの温泉、新しいミュージアムを開館する、日本一の温泉県大分」にしてもらったら良いんじゃないだろうかなあ。


 新見 隆(にいみ りゅう)
 県立美術館長
 武蔵野美術大芸術文化学科教授

大分合同新聞 平成26年2月17日朝刊掲載