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OPAMブログ

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大分のアート立国、文化リテラシー物語  その九

寄稿 2014.01.20

「スピリチュアル・トイ(魂の玩具)」の試作品

「スピリチュアル・トイ(魂の玩具)」の試作品

 美大的日常の最高潮のクライマックス「卒業制作展」が始まって、やっと一年の授業スケジュールが終わり、入試までのしばしの間、ちょっとホッとしている今日この頃。自分でもクリスマスから「スピリチュアル・トイ(魂の玩具)」と称して、いろいろな試作をやっている。これは僕が畏敬する、20世紀米国の箱のアーティスト、ジェセフ・コーネルが自作を称した言葉として知られる。

 新しいミュージアム・グッズの開発を念頭に置いてのごくごく試験的、試作だ。紙の積み木ピラミッドを糸で結んで「数回しか着けられない、ごくごくフラジャイルな(壊れやすい)ネックレス」を女房につくってやっている。

 昨年末に、新しいミュージアムのショップとカフェ、それを一緒にやってゆく組織、グループが決まって発表した。

 僕はミュージアム全体のコンセプト「大分がグローバルに出会う、世界が大分に出会う」と同じように、ショップもカフェも、ミュージアムそのものと同じく大分の「地域力、観光力、産業力、教育力」の起爆剤にならないといけないと思っているけれど、その切り込み隊がショップとカフェである。

 以下、あくまで理想論だが。カフェには「大分の地のサバを使った、トルコ風サバサンドイッチ」が、小鹿田焼の皿で出てきたらいいな。煎茶や抹茶と和菓子フルセレクション、さらには焼酎の世界各地の天然炭酸割りも欲しい。

 ショップのコンセプトは、畏友でトタンの彫刻家、吉雄介さんが東京・神保町の画廊の「身体に着けるアート」展に出品したのにちなんで「アート・トゥ―・ウエア」(着るアート=ジュエリー、スカーフ類ですが)、「アート・トゥー・プレー」(遊ぶアート)、「アート・トゥー・イート」(食べるアート)の三つをコンセプトに掲げたい。

 全て大分の材料(食材や工芸素材など)と、日本中世界中のアーティスト、デザイナーを出会わせた「合わせ技」である。

 僕は新しいミュージアムは0歳児から老若男女、あらゆる人種に、徹底して開かれた「心の遊び場」であると信じている。

 だが従来のミュージアムの現状をいえば、ミュージアムを自分の家と感じて、それを楽しんだり日常の場として使ってくれている「上顧客」の90パーセントは、10、20歳代から50、60歳代あたりまでの女性層だ。

 僕はこれは、新しい大分のミュージアムにおいても変わらないだろうとみている。むろんそれは、決してその他の客層を期待していないわけでも、想定していないわけでも絶対にない。

 その上で話を戻して、僕の学生たちを含めて、そういう女性層が今最も期待している、彼らの求める「生活のプラス・アルファ的彩り」を得る場、あるいは「ライフスタイル・ミュージアム」の場とは何かということを考えてみる。

 するとそれは、やはり「東京や福岡や単に大都市で今最もはやっている、エッジー(最先端)でシャープなもの」を「ワン・ランク落とした、あるいはチェーン店化された」、「似たようなもの」では実は決してない。

 現代の情報ネットワークの波及力は、そう思われているよりはるかに迅速に、浸透して日常化している。

 大分の若い人たちは皆、東京や福岡と同じ、あるいはそれ以上に鋭い感性とシャープで現代的な情報とセンスを持っている。

 だから、ミュージアムのカフェで「どこそこの星付きフレンチ・シェフの大分出店」が成立するわけは絶対にない。彼女たちは一度は物見遊山的に訪れるだろうが、話のネタにした後は、二度とその店には来ないだろう。

 新しい大分のミュージアムは、「大分の優れた素材」がグローバルな視点で、今までにない「飛躍や上昇やファンタジー」を生むような「圧倒的な驚き」を、全ての活動において、もくろんでいるということを、いささか遅れた年始のあいさつ代わりに知ってもらいたいと思う。

 そして、日々刻々と変化成長し続けることも大事だ。そこはあたかも、アートの活気に満ちた美大のような場、作品をつくらなくても全ての人が「アートに恋い焦がれる」夢の場、新しいわが家なのだ。

 そして大分の全男性の皆さん、おしゃれでファンタジーに満ちたミュージアムをどうか、自分の遊び場にする千載一遇のチャンス到来ですぞと言いたい。
 

 新見 隆(にいみ りゅう)
 県立美術館長
 武蔵野美術大芸術文化学科教授

大分合同新聞 平成26年1月20日朝刊掲載